古書にまつわる話2

「ケプラー」の2大著書

ケプラーは歴史的に有名な天文学者です。専門書の他にも啓蒙書類を残しています。

ただなんと言っても2冊の大著が有名です。

その内の1冊の「宇宙の神秘」は翻訳がありますが、しばらく絶版でかつ古書価も定価附近でした。

需要は大きくはないと思いますが、購入者は逆に手放さない本なのでしょう。それが復刊されます。

ほぼ同時に、それ以上の大著「宇宙の調和」が日本語の初訳されます。まあ、価格が高いのでどちらも購入者は手放さない本に なるでしょう。とても読み切れないし、価格も高いしなかなか手が出しにくいですが、その方面に興味のある人には悩ましい事 です。(2009/03/28)

謎と現代語訳が一人歩きする源氏物語

いわゆる古典には、出典・著者・事実関係他多数の謎があり、色々な説があります。

日本の古典もほとんどがそうですが、源氏物語も同様で結論などまとまるのかどうか全く不明です。

そんな中で、作品は有名で多くの現代語訳が次々書かれています。

有名な与謝野晶子訳は、すでに著作権が切れています。

出版数も時々みかけますが、巻数も多い事もあるのでしょうが、どの訳も結構な数が出ているようです。

流石に、著名な日本の古典という本です。歴史書ではなく小説の性格が、謎の研究と現代語訳の多さの両立を成り立たせている のでしょう。(2009/06/13)

翻訳本の内容は?・全訳・抄訳・新訳

翻訳は訳者で内容が異なる事は当然です。

ただその詳しい内容は、原本を読んだ人しか分かりません。

昔に紹介されたものは、多くが抄訳といわれています。文章的に古く読みにくいのですが、それに加えて抄訳では、読んだ事に ならないとも言えます。

新作品を読みたい人も多いですが、全訳のかつ新訳を望む人も又多いです。

過去の訳は資料として認めるとしても、可能な限り原本に近い内容の翻訳を求める事は、マニアならずとも望むでしょう。

ただ、翻訳の難しさは新訳がかならずしも良いという保証がない事です。同じ所で間違っているのでは、がっかりします。 (2009/07/25)

本文か、編集者のコピー文か

雑誌には、目次や本文の冒頭に何かが書かれている場合がかなりあります。

作者の紹介ならまだしも、作品の紹介をコピー文風に書いてある事も多いです。

小説の書き出しに、何かの引用を付けたり読者を引きつける前文を付ける事は多くあります。

これが微妙な内容だと、小説の一部なのか、編集上のコピー文か判らない事があります。

それを確かめる事はかなり難しいです。後年に復刊するときに担当者が判断する事になり、多くはその時の判断が生きてしまいます。

単行本の場合はまだ判りにくいケースは少ないですが、雑誌発表のみの本ではもう誰も判らなくなります。 (2009/09/05)

嫌われる「蔵書印」

小学生は自分の教科書には名前を書きましょうと言われます。

その先の考え方では、購入した本には自分の名前の入った蔵書印を押しましょうとなります。手放すつもりがないならば否定もしにくいです。

ただその人の趣味か?、あちこちとべたべた押す人がいます。そしてそのような本が大量に古書として流通する事があります。

テキストとして読む場合は無視できます。ただその場合でもあまり良い気分ではありません。

まして、蒐集目的では致命的に価値が下落します。通販で状態が完全に分からない状態では、大抵はチョックでしょう。

いくら事前に聞かされていても、想像を超えすぎる事が多いのです。XX蔵書本と名前まで付けられて呼ばれる事もあります。

これも本を傷める行為だと思います。本が泣いています。 (2009/10/17)

ダーウインの「種の起源」に高値

古書も歴史的になると骨董的な価値がつきます。

ダーウインの「種の起源」の初版本に、欧州のオークションで非常な高値がついたというニュースがありました。

勿論、資料的な価値もありますがテキストが完全に復刊されていますから、稀覯本としての価値が主と思います。

丁度日本でも、同書の新訳復刊が出ている時ですので、その知名度は高いです。

宗教な面も含めて、欧米では古典のなかでも特別な位置にある本といえるのでしょう。

ダーウィンの進化論自体は、科学的にも研究が続き現在では分子レベルで扱われていますが、欧米での一部の遅れは不思議にも 見えます。(2009/11/28)