古書にまつわる話6

小松左京氏死去

SF作家の小松左京氏が死去しました。

まだまだ読み継がれている作家です。

ただ膨大な著書全てが、同様には読めません。

ただ、生前にオンデマンド出版を始めており、死後は継承されるかどうかは判っていませんが、読める環境にはあります。

映像化された作品も多く、本は読んでいなくても原作者として知っている人は多いでしょう。

日本SF界の創始者として、星新一氏に継ぐ死去ですが、その影響は大きいです。

偶然か、「小松左京賞」は前年に10回で終わりましたが、後継者の新人発掘も功績です。

著書の一部を無理に、現代の震災や原発事故につなげる人もいるようですが、そこまで必要はないでしょう。

作品全体が、未来予測を含む傾向にあり、特別な予言者扱いは不要でしょう。

ただし、科学知識の取得には多大の努力を行っていました。(2011/08/07)

作家の記念館

地方出身作家の生誕地等に、作家の記念館が生まれています。

主として生誕・幼少時の資料が中心で、デビュー後の資料も集めています。

昔は、通信手段の関係で、作家は東京を中心にした大都市で活動せざるをえませんでした。

しかし、生誕は全国に渡っていますし、幼少を過ごした所も同様です。

もしも上級学校に進んでおれば、そこから漸く都会になります。

逆に言うと、作家の実際の生誕地に拘るときわめて田舎とかで、今でも交通の不便な場所になります。

逆に、出身県等の文学館等に展示スペースを設けると、便利ですが生誕地自体ではありません。

いずれにしても、資料の中には肉筆原稿や初期掲載雑誌・初出単行本等を見る事が出来ます。(2011/09/04)

作家の記念年

作家の記念の年には、どのような種類があるのでしょうか。

人間として、生誕・没後があります。

作家としては、デビュー・受賞・作家生活・代表作等があります。

それぞれに、何年をつければ大抵は、毎年に近く何かがあります。

切りの良い数字にこだわらなければ、毎年が記念年です。

結局は、メディアや出版社が中止になり、一部はファンが何かの記念年とします。

ただ、新作があるほうが盛り上がるので、短い年数の現役作家が取り上げられる事が多いです。

死去作家は、特定の少数の作家のみが対象です。(2011/10/02)

分冊本の片割れ探し

単行本でも、分冊が多いです。

なかには、全部で何冊あるかが判り難い本も多いです。

「上」「下」があっても「中」の有無は、書いていないと不明です。

数字の通し番号の時は、最終刊が判るかどうかです。

分冊は、セットで新刊購入してセットで古書に出し、セットで販売とはならないです。

古書店によっては、探してセット販売している所もあります。

そのような所は、マニア受けするでしょう、たとえ元がバラバラであってもセット揃いはうれしい事です。

分冊の片割れは、値引きでないと売れませんが、うっかり見込みなく購入すると埋もれかねないリスクがあります。(2011/11/06)

カバーや帯に興味はありますか

元々は、汚れ防止で本体ではなかったものがカバーや帯です。

帯は、いまでもついていない本は売られています。

さて、新刊のカバーや帯が必ずしも一定しない時代の古書ではその扱いはどうでしょうか。

たぶん、購入する人で異なるといえるでしょう。

カバーなしを、いつのまにか裸本とか呼ぶ事もあります。

何かかけているイメージになりました。

本来は、本体外の包装の筈でしたが、いつのまにか商品の一部になってしまった感があります。

古書目録にも、カバーなし等の表記がされる時代です。(2011/12/04)

多すぎる本たち

ベストセラー本は、古書として売られる事も多いです。

新刊で需要が多い事は、古書でも同様ですが、タイムラグと蓄積が起きます。

通常は適度に売れて、古書に売られ、絶版になり、古書を探す人が生まれます。

ベストセラー本は、時期が過ぎると古書の在庫が供給オーバーになります。

あるいは、絶版にならない事で同様の事が起きます。

もう古書店では、引き受けないか非常な安価での、引き取りになります。

売値も同様に低い価格で、それでも売れ残ります。

しばしば、廃棄という悲しい運命になる事もあります。(2012/01/01)