古書日記(2009/02)

古書日記『泡坂妻夫氏の死去』

小説作家としては3つの顔(本格ミステリ・時代小説・人情小説)を持ち、個人的にも3つの顔(作家・紋章上絵師・奇術研究家) を持つ泡坂妻夫が死去されました。

1970年中頃に本格ミステリでデビューしてからのファンで、殆どの作品を読んできた読者です。

デビューから死去までを殆ど、出版とともに同時に読んできた作家は意外と少ないのです。その条件としては、・デビュー時から 作品が優れている、・作家ジャンルを広げてもレベルが維持、・全作品を読める程度の作品数である等があるでしょう。

デビュー当時から人気作家ですから、通常の本は出版数も再刊も多く、古書的にはプレミアはまだついていません。

近作に「春のとなり」という自伝作品があり、異色作でもあり作家生活に整理を行っている感がありました。それが「筆を折る」 ではなく「死去」という形になったと感じます。

今は無い「社会思想社」から「秘文字」という本が出版されています。初出は豪華本で、泡坂・中井英夫・日影丈吉が書いた小説 を暗号化しているという異色書です。個々の小説も暗号がテーマです。通常文は購入者が出版社から送ってもらう形式でした。

流石に購入者は限られたので、次に通常文が袋閉じが出たと記憶しています。そして、その次にようやく袋閉じののない通常の ハードカバー本が出ました。私が保有しているのはこのタイプです。

一番最初の豪華本は古書でも流通が少なく、既にレア本だと認識しています。

なお、初長編はノーカットフランス装の本で作者サインの注文サービスも有ったので、未読のノーカット品はレアと言えます。 ただ意外と見かけます。私は通常購入のカットして読んだ本を保有しています。(2009/02/07)

古書日記『包装なのか?本体なのか?』

本は「本体」と「包装」があいまいです。「本体」は商品ですので欠陥があっては不良品となります。

一方、「包装」にあたる部分は「本体」に影響なければ痛みや欠陥は商品外となります。

商品の説明に、「箱入り」やカバー等の説明があればその部分も商品と判断出来ます。それがない場合は、一般には「裸本」と 呼びますがどこまでが商品かは曖昧です。

「豪華箱入り本」では、全体を安価な包装箱に入れてある事があります。そのときは包装箱は商品ではなく、傷等があっても 取り替え出来ない事が書かれています。

最近は、カバーや帯に拘る人が増えています。「初版帯」「受賞帯」「映像化帯」等です。帯は傷むと廃棄されます。カバーは 出版社に戻ると交換されたり、もっと古くなるとこれもたまには廃棄も見かけます。

しばしば、「全揃い」という名目がオークション等でありますが、本体は当然ですが包装または不明部は個人の認識差があるでしょう。 もし拘る人は事前確認が必要です。そもそも保有者も、全揃いの内容を知っているのかは疑問です。

昔、早川ポケットミステリで箱入りがありました。そこには、包装の為に使用しているので廃棄して下さいのような表記があります。 明確に本体外です、しかし今では古書として箱入りを捜している人がいます。包装だと勝手に思い込む事は要注意なのでしょうか。

月報や投げ込み付録は資料的にも重要とは、今では常識です。

消費税法改正で、注文カードが新刊購入時についてくるようになりました。これは、本体なのでしょうか。(2009/02/14)

古書日記『レア本は面白くない?』

商業出版の場合は、売れ行きが良ければ再版・復刊されます。

レア本と言われる稀少本は、初出時に売れ行きが悪かった本で、その後も再版・復刊がされていない本に多く見られます。

何故、初出時に売れなかった?再版・復刊がされないのか?と考えるとそれが出来ない事情があるでしょう。

しばしば言われるのが、内容あるいは海外作品では翻訳が悪い事があげられています。つまり、少数のレア本の蒐集家には人気が あっても通常の読者には市販流通する程の内容ではない場合です。

内容はあくまでも個人の主観ですが、特殊な出版形態で出版自体が知られていないケース以外では、レアになる理由には稀少性は あっても平均的には評価が低いのでしょう。

例外的に時代性で評価が変わる事があります。そしてそれは、復刊して見ないと分からないとしか言えません。

実際に復刊されて、評価が高いケースは沢山にあります。山のようにある絶版本の中から、復刊する本・作品を選ぶ事は容易では ではありません。

再評価されるには、まずは売れて読まれる必要があります。その為に叢書として、知名度のある選者で編集する。解説・推薦・ 帯文等をやはり知名度のある作家・評論家が行う等でまずは読者を増やす試みがなされます。

復刊価格や本の形態等も影響するでしょうが、それらはより難しい選択でしょう。(2009/02/21)

古書日記『古い情報の資料性』

古い本は、単純には書かれている情報も古いです。

もし読者が、最新情報や現実に使える情報を探しているのならば古書の内容は文字通り古いです。

しばしば使われるフレーズに「時代性を考慮すれば」があります。マイナスを承知の上で読むという意味です。

もうひとつは、本の書かれた時代の資料性です。その時代を書いているならば、どのような時代だったのか。書かれている内容 が古い時代ならば本が書かれた時にはどのような歴史認識だったのか等の事です。

しかし、古書を購入する人がどちらかだとは限りません。昔は良いものがあったとか、単に蒐集が目的だというケースも無視 出来ません。

しかし、読書を目的に古書を購入する人もいます。個人的にはこれが本来の姿と思いますが単純に古書購入者の心理は割り 切れません

本の多くが絶版になっています。その本の出版時にその本が読みたい人以外は、絶版後に古書で捜すしかありません。

資料性の具体的内容は個々で異なると思いますが、短期間で絶版になる出版構造がその本の持つ情報を同時に無くし、古書を 必要とすると思います。(2009/02/28)