古書日記(2009/03)

古書日記『海外本の抄訳』

戦前及び戦後まもなくの頃は、海外作品の日本への紹介は完全訳は少なく、抄訳や翻案が多いです。

面白いかどうかは別にして、抄訳の場合は原作の内容を正しく伝えているレベルなのか、それとも原作の評価さえできないくらい の内容さえ妖しい訳なのかが問題です。

抄訳でしかも内容的に問題があり、一部の人の原作または本国の評価でその作品の日本での評価が決まってしまっている事が あります。たいていは否定的な評価です。

なぜ抄訳が多いのかは当時の事情が不明ですので分かりません。訳者の事情なのか、出版の事情なのか?。ただ内容が誤っている 事は、省けない事や省き方が誤っていることになります。作品にとって非常に不幸です。

同時にそれが抄訳と知らずに、または知っていても内容的に悪いと知らずに読んだ人は被害者と言えるでしょう。

しかし、その過去の評価ゆえに日本への本格的な紹介が遅れている作家や作品が存在してしまうことは、現在・未来の読者に とっても不幸と言えるでしょう。

本は読まれて意味がありますが、正確には正しく読まれて意味があると思います。

現在でも、翻訳の間違いや問題は沢山指摘されています。本国の知識・情報が不足しているために生じる事が多いと思います。 同じ事が抄訳でもあったのではないかと推察します。

内容が不明な所・意味が理解しにくい所が省かれてしまいやすい結果になったのではと思います。(2009/03/07)

古書日記『古書カタログ』

ネット古書店・オークションの普及前は、古書カタログが多く出されていました。

現在でも無くなった訳ではありませんが、減少したことは事実です。

紙ベースの古書カタログは、古書マニアには資料として貴重です。逆に言えばネット以前の古書店の店主は自らが少ない情報で 価格設定するのですからあきらかに専門家です。

ネット時代になると、勿論専門家もいますが素人でもネット古書店を開く事が出来ます。自信がなければオークションという 選択もあります。

ネット時代になるとよく言えば価値観が変わったといえます。悪くいえば、異常に高騰している物件が発生していると言えます。

充実した古書カタログは、今後の発行は少ないと思えます。そしていつかは、過去の古書カタログ自体が貴重な資料になると 思います。

ただ、はやりの本以外を捜す人は掘り出しものを探す事は可能です。(2009/03/14)

古書日記『価格均一棚』

通称「均一棚」とは、1ヶ所に集めている古書が同一価格設定にしている古書販売です。

価格が同じと言っても、50円・100円・200円とかの安い設定が多いです。しかし1000円設定もあります。

業界用語的には、古書店の店頭に棚を出して客寄せも含めて安価本を並べるイメージです。

古書というよりは「古本」という扱いでしょう。古書の卸でまとめ買いした中から目当ての本を抜いた後の本を処分する方法とも いわれています。

この本の価格で入手出来るかどうかが、古書マニアの情報力とも言われています。古書の価格は変動が激しいですし、地域差も 大きいです。

ネットの時代になって、古書価格の情報が全国均一化しているともいわれます。しかし、オークションからの情報は高くなり過ぎると 言われたり、送料の関係で「均一棚」本がネットでは出品が少ないという事があります。

ネットで古書を購入する人は、「均一棚」本の情報が不足すると言えます。(2009/03/21)

古書日記『値札シールか鉛筆書きか?』

古書は丁寧に扱いますが、ふるほんはいささかぞんざいな扱いを受ける様です。

従ってふるほんとして動いていた本が、いつしかレアになった場合でもかなり傷んだ状態は存在します。

いずれにしても、価格は記入または添付されるのが普通です。そしてそれは簡単には無くならない方法です。具体的にはシール類と 鉛筆での直接書き込みが多いです。

一応は、外したり消したりできる配慮はありますが、多くは痕跡がのこり本は傷みます。これらを入手した場合は、何もしないのが より痛めないで良いと考える人と、出来るだけ消そうとする人がいます。

ジャンル分けの専門店では、シール類を使用する事が多いです。逆に一般店や均一棚等は鉛筆書きが多いです。そして、時間の経過 での売れ残りや価格変更があると重ね貼りシールや価格の書き直しが行われます。

まるで時間単位の長い、スーパーの賞味期間切れ商品の扱いに似ています。この商品の回転率とその扱いを見るとその古書店の性格 が推定出来ます。

最近は新刊を買い・読んで直ぐ古書店に売る人が増加しています。その本は賞味期間が激しく変わる運命にあります。(2009/03/28)