古書日記『初出の不明な著作』
作家・著作者別の書誌を作る試みは、絶えず行われています。
最近は、作家自身がウエブサイトを開設して、作成している事も増えています。
ただし、古い作家になるとかなり著名な作家でも、完全な書誌の無いのが日本の現状です。
単行本および、小説等の雑誌初出がおおむね判っているレベルならば、かなりの作家になります。
ただし、異なるペンネーム等を知っている必要があります。
単行本に関しては、地方や戦時中の侵略地域出版を除けば、おおむね判って来ています。
それでも、希に未確認単行本が見つかる事があります。(2012/05/06)
古書日記『初出本の資料価値はどれくらいか』
人気作家では、雑誌等の連載>ハードカバー単行本>ノベルスか文庫へと進みます。
この時に、結構と書きないし・手直しが入るとされていますが、初出はどのていどに価値なのでしょう。
ワープロ時代の近年に、特に増えたとも言われています。
最初の初出が、未完成とは思わないとしても、細部が変わってしまう事は多いです。
修正ではなく加筆というのは、何か単行本の枚数稼ぎに見えてしまう事もあります。
余分な内容を増やせる時は、多いですからですが、量が多いとか時間をかけたとかが、内容が良いとは限りません。
何が、表現・内容として良いかは作者が決めても、その様に評価されない事もあります。(2012/05/13)
古書日記『いつから、カバーや帯に拘る様になったか?』
元々はカバーや帯はなかったです。
本の傷みを防ぐ為に、カバーがつけられる様になりました。
容易に変更できる広告媒体として、帯がつけられました。
従ってこれらは本体ではなく、包装紙と同じ物です。
それが次第に、重視されてしまって、帯なしカバーの欠陥に注目されるようになりました。
古書カタログに、カバーなしとか、元セロとか、帯有りとか書くようになりました。
受賞帯や、映像化帯に意味があるとは思えないのですが、購入者にも色々です。(2012/05/20)
古書日記『レア本でも探す人のいない本』
古書として出回らない本は多数あります。
新刊時に人気がなく流通が少なく、市場に少ない本でかつ読みたい人がいない本です。
そもそも、このような本は書誌もなく存在を示す研究もありません。
結果として、絶版後には本の存在が世間はもとよりマニアにも知られなくなります。
その後は、何かのきっかけでレア本として復活するか、存在自体が無視されるかです。
古書は、存在と市場性と探す人とが揃ってはじめて取引対象です。
存在が消えてしまった状態になると、探す人もいなくなります。(2012/05/27)