古書日記(2015/06)

「蔵書の行方」

読書家・蔵書家にとって、死後に本がどうなるか、あるいはどうするのかは難題だ。

どうにでもばれと割り切れる人は少ない。

遺産だと言いたいが、処分は本人でも悩むだろう。

ましてや興味のない遺族はどうかは、想像したくない。

だからと言って、生きている内に自分で処分するのは決心が難しい。

友人の読書仲間にと思うが、多くは年代が同じだ。

それに、どこも誰しも本の保管場所に困っている事は知っている。

欲しい本だけ持って行って・・・後は・・・そこで同じ悩みがある。

蒐集には膨大な時間と費用と時間がかかるが、それが楽しみだったと思いたい。

結果の蔵書に意味を見つけるのは厄介だ。

古書に見かける、派手な蔵書印もこのストレスの現れだろう。

本を傷めず保管する事、それだけでもマニアだろう。

(2015/06/08)

「投げ込み付録」

綴じ込み付録や広告は、古書として残る。

カバーや帯は、欠損もかなり多い。

厄介なのは投げ込む付録と、広告だ。

これらが、書籍と一体かどうかの判断はマニアで異なる。

最近は、新書や文庫の多くは紙栞がついている。

書籍固有の月報は必須だが、古書では欠落し易い。

出版社ごとの月報や広告は、実は微妙だ。

広告類は、同じ版でも出版社の出荷日で変わる事もある。

そもそも、投げ込み品の存在は書誌やカタログでは判らない事が多い。

月報には、重要な物も多く古書で補い難いものもある。

(2015/06/18)

「愛好家が開く古書店」

本の愛好家が、退職後かそれを見据えたタイミングで古書店を開く事もある。

好きだけで出来る訳でないが、知識は役に立つ。

ただし、かなりの蔵書家でも、自身の蔵書を販売はしない。

販売すれば、かなり売れるだろうが、それではビジネスでない。

古書ビジネスは、買取から始まり選別・清掃・値付け・販売となる。

原則として、在庫が当初は増えて正常だろう。

増えすぎてどうなるかは、個々の方針や専門化度合いで変わる。

予想以上に忙しい事は、実際に行って判ると聞く。

古書店で少人数の客とのんびりした、店員の雰囲気は断面のみだ。

とにかく、ビジネスに乗るには本の知識以外の経験も多い。

そして、個人書店は専門性が生まれる事で成り立つ。

(2015/06/28)