古書日記(2015/12)

「翻訳は誤訳が付きもの」

専門の翻訳家は昔はいなかった。

その代わりに作者・編集者の海外本への情報を求める気持は高く、自ら翻訳も多い。

同時に日本へ舞台を移す翻案も多く行われた。

昔は、原本が明らかにされなかったので翻案とされても、原作が不明は有った。

また、出版事情もあり、完訳は少なく抄訳が通常的に多く、誤訳も多い筈だがぼかされた。

昭和30代くらいから完訳へと変わったが、出版国の知識や情報が必要だし、言語が全く異なり結果として誤訳が多い。

正確には、機械的に訳しても意味が通じない程に文化も言語も異なった。

語学の知識も必要だが、出版国と分野の事情の知識と、日本語の知識が必要だ。

現在でも、改訳・新訳が多く出るが、度々に旧訳の疑問が提示される。

明確な誤訳もあれば、知識不足もあれば、元々訳す事が難しい事が知られていなかった事が混ざる。

文体に興味があれば、チャンドラーの村上春樹訳は注目だろう。

翻訳が読みにくく訳者の問題とされたが、次第に原本に忠実と評価が変わった本もある、原本が実は難解だった。

(2015/12/05)

「本マニアが退職後に古書店を始める」

古書店をビジネスだけに絞ると、閉店が目立つ。

一方では、僅かだが新規開店もある。

それは、本マニア・古書店マニアが退職して、始めるケースも複数ある。

本・古書に詳しい事やとにかく好きだという事や色々混ざるのだろう。

古書の世界は、情報の世界でもありいくらかは優位はあるかも知れないが、好きでないと続かない。

ただ、利用者や古書店間の情報や蒐集家との繋がりがあれば、新しい何かが得られる可能性がある。

汎用古書店は難しいので、何かの専門店になるだろう。

マニアの世界はマニアしか判らない、そこに期待する部分がある。

出版不況の古書店への影響は微妙だが、今はマイナスに見える。

新刊がないと古書も出来ないが、どんな新刊が望まれているかは実は古書店のノウハウかも知れない。

(2015/12/15)

「古書店にも飾り本はある」

商売上で販売が期待出来ないが、書店的に置いておきたい何かはある。

勿論スペースが問題だし、飾りに近いので数量は限定される。

昔は百科辞典が目立ったが、今は全集や豪華本・・・箱入りとかサイズが大きい本だ。

妙な内装よりも、本格的な書店に見えるし、落ち着く人も多い。

古書店は雑然としたイメージがあるが、ガラス戸棚や会計場所付近等に商売的にどうかという本がある。

買うことでみる人は少ないが、店に入ると目に入る。

全部が流通本や安価本ばかりで、商売では問題はない筈だ。

ただ、本が好きな人は何か足りないと感じる。

その結果は、飾りとしか見えない本が、開店から長く陳列される。

あたかも店の歴史のようであり、重要な飾り的な存在だ。

雰囲気を作るものは必要だ。

(2015/12/25)