古書日記(2017/01)

「古書の市場価格が不明な本」

古書は需要と供給が有って、はじめて流通する。

その結果として、市場価格が定まって行く。

流通しないと、古書価格は定まらなく、取引が無いと供給側の設定価格のみが存在する。

購入者がいない価格は存在するだけで、それが市場価格にはならない。

オークションは2名が競えば価格は上がるが、それだけでは決まらない。

流通量が多いと、初めて需要側の想定価格が表に出る。

そこで漸く、需要と供給双方の想定価格が揃う。

需要が圧倒的に上回れば、復刊に繋がる。

そこに至らない需要の時は、古書や同人出版の世界となる。

その状態が長期に存在すると、安定な取引商品となり、次第に市場価格だ上がる可能性がある。

それでも、復刊の量とは離れている。

4桁か、3桁の需要では商業出版は難しい。

(2017/01/08)

「復刊されなかった作家」

書籍は題名と著者で購入される、内容は読みまでは判らない。

題名は通常はダブリを防ぐための識別なので、著者名が重要だ。

知名度の高い作者は、出版も復刊もされる事が多く、それがまた知名度を上げる。

逆に知名度の低い作者は、マイナスが重なり復刊の機会は非常に少ない。

従って、執筆活動時に単行本が出ないと単行本が出る機会はますます少なくなる。

これがまぼろしの作者を作る構造だ。

著作権は出版では重要だが、死後の著作権継承者が不明の事が急増している。

権利はあるが、実質は何も生み出さないケースが普通であり、そこでは継承が曖昧になる。

最近では部数は少なくとも、選集または作品数の少ない作家の全集が組まれている。

その多くが著作権継承者が不明なのだ、四半世紀前は判っていたのだが・・・。

(2017/01/18)

「流通が無い、見たことが無い本」

長く本や古書に関心を持ち、古書店や古書市を巡っても、出会いがない本は多数ある。

それにカタログや。ネット通販を加えてもまだまだ多数残る。

その中で、紹介を見ているが流通は見ていない本も多数あり、それがしばしば探求本となる。

この段階の探求本は、言い値ではあるがカタログ価格・ネット価格が存在する。

その信用度は不明だが、購入者がおれば取引価格となる。

情報だけでも意味はあるが、その正否の確認は別であり、長く幻の本状態になる事も普通だ。

現物が見つかっても、復刻される事は多くの作者には期待されない。

現在は、作者名だけで復刻対象になっているのは、江戸川乱歩と横溝正史以外は希だ。

乱歩・正史は、全集的な集成と共に埋もれたものの発掘と研究と、復刻が進められている。

そして、いつまでもそれが終わらない事実を見て、難しさを感じているだろう。

作家別の研究には、その複数のペンネームと知名度の低い初出誌が障害となっている。

(2017/01/28)