古書日記(2021/04)

「鮎川哲也「白の恐怖」」

鮎川哲也はデビュー時はしばらく別名義で発表していたが、「黒いトランク」以降に鮎川名義になった。

鮎川作品は現在では復刊率が高く、その中での主要作は現役でも出版されている。

しかし「白の恐怖」は作者自身が復刊を望まなかったことで、長く新刊では読めなかった。

「白の恐怖」は昭和34年に桃源社の書下ろし推理小説全集全15巻の、14巻として出版された。

短い長編であり、短編「影法師」と中島河太郎の解説とで1冊となっている。

探偵役が星影龍三で、鮎川作品としてはトリッキーな構成だ。

鮎川の死後に、本作を元にした改稿と言われた未完成の「白樺荘事件」と共に出版され、続いて文庫化された。結果的には改稿が多い鮎川作品としては珍しく初稿が残っている作品となった。

(2021/04/09)

「仁木悦子「猫は知っていた」」

仁木悦子の実質的なデビュー作は初単行本長編の「猫は知っていた」であり、公募になった初回の第3回江戸川乱歩賞の受賞作だ。

当時はいくつかの長編応募があったとされ、そこには現在でも知名な作家の作品が並ぶ。

仁木が応募を目指したが間に合わなかった講談社の13番目の椅子では、受賞者・鮎川哲也の他に藤雪夫や鷲尾三郎の名がある(後の名前を含む)。

応募したが企画が中止になった河出では、多岐川恭(後の)がいる。

さらに乱歩賞では、土屋隆夫や西村京太郎や飛鳥高などがいた(後の)。

「猫は知っていた」の初版は1957年刊行で、箱は白地に題名と作者名と猫のイラストだけのシンプルなデザインだ。

病床の仁木の写真と、簡単な作者の言葉と、「女流作家の登場を喜ぶ」の選考内容が選考委員の5名で書かれている。

そこで女流作家の本格探偵小説であり、アガサ・クリスティを思わせる、等が書かれていて、仁木は「日本のクリスティ」と呼ばれる事になった。

この本は度々増刷されて、その後のミステリファンの拡がりのきっかけになった本の1つとされている。

(2021/04/19)

「楠田匡介「絞首台の下」」

楠田匡介は、第二次大戦前から作品を発表しているが、戦後に作家活動を始めた。

多数の作品を発表したが、1966年に事故死しており、既に著作権は切れている。

探偵小説マニアには知名度はあるが、入手しやすい作品は少ない。

「絞首台の下」は昭和34年(1959)に出版された長編で、版型としては講談社ロマンブックスとして知られる小ぶりな本だ。

ロマンブックスはソフトカバーの軽装版で、広いジャンルの作品が多数並ぶシリーズで、初出本は多くはない。

ストーリー的には、サスペンス的な展開から意外な展開で進み事件が多発する。

その展開の中で、レギュラー探偵役の田名網警部も登場して、謎の幾つかが解決して行く。

楠田作品でお馴染みの、監獄での事件も発端として登場している。

長編では部分的に本格探偵小説の要素を持つのが、楠田作品らしいのかも知れない。

(2021/04/29)