「高城高「微かなる弔鐘」
高城高は仙台在住大学時代に「X橋付近」で1955年にデビューした。
少し遅れてデビューした大藪春彦と共に、日本のハードボイルド初期の代表作者と呼ばれる。
1957年に釧路で新聞社勤務となったが、同時期に江戸川乱歩編集の雑誌「宝石」に書き始めた。
短編集「微かなる弔鐘」はその時期に書かれた作品を1959年に刊行した本で、長らく数少ない作者の少ない単行本だった。
短編6作と作者の「あとがき」が掲載され、「あとがき」にはその事情と作者のハードボイルドへの考えが書かれている。
高城は長編1冊書いた後は、短編発表のみで本の出版は途切れたが、2000年代に再編集作品集と文庫版全集が出版された。
それ以降に複数冊の連作集を執筆し、近作には「ウラジオストック花暦」シリーズ2冊を刊行している。
私が保有する「微かなる弔鐘」は痛みが激しく、巻末の出版社案内の広告リストにチェック書きもある、だが本書でファンになった私には貴重な本である。
(2021/05/09)
「高橋奏邦「紀淡海峡の謎」」
高橋奏邦は作家だが、一方では翻訳家としても活躍した。
経歴によれば、父が外国航路の船員だったので自身も目指したこともあったが、作家となり海洋小説を書いたとされる。
船の衝突事故での海難審判を描いた「衝突針路」が第1長編であり、その作品の多くが海洋小説となった。
「紀淡海峡の謎」は1962年に発表された長編第2作であり、副題が「小説・南海丸事件」だ。
昭和33年に南海丸が紀伊水道で沈没して168名が死んだ事件を題材にして、船の構造や気象状況を現実のままに使用した。
登場人物に関しては、自由に設定しているが、これは最大長編の「偽りの晴れ間」でも使われた手法だ。
海図の表紙カバーと、同じ海図が冒頭にある。2部構成で、「インターリュード」と「エピローグ」でなり、「あとがき」ついている。
第2部で遭難が起きて終わる、そのあとの「エピローグ」で補佐人と助手が事故の原因を推測して語りあう。
可能性のある多数の要因が重なりあって起きた事故と推察し、その確率は計算上はゼロに近い、それでは事故は運命なのか?。
(2021/05/19)
「野口赫宙「黒い真昼」」
野口赫宙は、第二次大戦前から作品を別名義で多数発表しており、プロレタリア作家とか私小説作家とか色々と言われているらしい。
戦後は題材が変化した事で、ジャンルも変化したとされる。
昭和30年付近から野口赫宙名義を使用しており、ミステリも書き始めたようだ。
個人的には「湖上の不死鳥」「黒い真昼」「武蔵陣屋」の作者としてのみ知っている。
ただし、どの作品も古書でもほとんど見かける事は減っている。
「黒い真昼」はライ病を描いたひたすら暗い小説であり、読者の個々でジャンルの捕らえ方が変わるだろう。
連続殺人が起きて、刑事が捜査して、容疑者を見つけて、取り調べで自白させようとする。
論理と物証が薄く、自白で解決しようとする展開は、犯罪小説的だが、最後に急に展開が速くなる。
「黒い真昼」は昭和34年のソフトカバーで本文以外は何も無い、シンプルな本だ。
(2021/05/29)